今も昔も悩みは同じ!?過去のにきびの治し方は面白い!

今も昔も悩みは同じ!?過去のにきびの治し方は面白い!

昔からあるにきびの悩み

気が付くと頬や顎、眉間など、顔にできるにきびに悩んでいる方は少なくない思います。
ポツンとできる小さなにきびは軽い方ですが、赤みを帯びて広がってしまったり、ニキビの跡がクレーターのように残ってしまうと、かなり重い症状です。
9割以上の方がにきびができた経験があるといわれているほど、まったく珍しくないものです。
にきびの場所によって、「思われにきび」といった名前を付けたり、なんだか良いことのように扱われることもありますが、実は皮膚の疾患で、尋常性ざ瘡(じんじょうせいざそう)と呼ばれます。
頻発するにきびや、にきび跡に悩んでいるという方も少なくありません。

美女も悩んでいたにきび

今だけでなく、昔から悩んでいる人が多かったようで、古くから「にきびが早く治る、にきびに効く」などと言われている民間療法などが伝わっています。
たとえば世界三大美女の一人ともいわれている、紀元前の古代エジプトの最後のファラオであったクレオパトラは、美に関する意識がとても高く、肌に良いとされる物は何でも取り寄せて使っていたともいわれています。
それでも、クレオパトラはにきびにも悩んでいて、ミルクを入れたお風呂に入っていたとも伝えられています。

エジプトのミルク風呂とは

このミルク風呂は、私たちがイメージする、牛乳をお風呂に注ぎ入れたものではなく、紀元前の話、しかも非常に熱い中東の気候ですので、運んでいるうちに牛乳が発酵したもの、つまり乳酸菌が多く含まれているヨーグルト状のお風呂だったのではないか、という説もあります。
乳酸菌は、腸内で有益なはたらきをすることで良く知られていますが、肌を保護し、強い日差しによって痛めてしまった肌を回復させる効果がある、つまりにきびにも良い効果があるといわれています。
古代エジプトは発酵という自然の力を利用したワインを作り出した国ですので、クレオパトラはあえて発酵させた牛乳を使っていたのではないか、とも考えられますね。

古代ローマのにきび治療

紀元前から1000年以上続いた古代ローマは、非常に豊かな生活を送っていたことが知られています。
なかでも、古代ローマ人にとって欠かせないもののひとつとして、浴場がありました。
日本人と同じく、大きな湯船にお湯を沸かし、疲れを取っていたのです。
一般市民も皇帝もお風呂を楽しんでいる様子は、大ヒットし、映画も好評を博した古代ローマ時代の浴場技師を主人公にした、ヤマザキマリさんによる「テルマエ・ロマエ」というマンガを読むと、とてもイメージがしやすいかと思います。
マンガでも出てきましたが、温泉に入ることによって、傷をいやすということも行われていたようです。
肌の疾患についても温泉に入ることによって、治療を行っていたといわれています。
また、湯船にしっかりつかることによって、リラックス効果がある他にも、皮膚の新陳代謝を促進する効果があることから、にきび予防にもなります。当時もお風呂の効果は知られていたのかもしれません。

古ギリシャのハーブ治療

紀元前に栄えた古代ギリシャでは、ハーブの力を利用して肌の疾患を治療していたと伝えられています。
イモーテルとも呼ばれることもある、ヘリクリサムというキク科の植物を使った、甘い香りのするハーブは、古代ギリシャの時代にはすでに傷をいやすという効果があることで知られていて、肌の疾患、傷や、水ぶくれ、そしてにきびなどに使われていたとされます。

日本人とにきび

外国だけでなく日本でも古くから、肌にできるにきびに悩んでいる人は少なくなかったようです。
文献で見ることができる、最も古いにきびに関する記述は平安時代の中期「和名類聚抄(わみょうるいじょしゅう)」だとされています。
「和名類聚抄」は当時でいう、国語辞典と漢和辞典、そして百科事典でもありました。
その中に「邇岐美(にきみ・にきび)」という和名が登場します。
「赤くて小さくて、ツブツブと出てくるもので、「丹黍」とも呼ばれていたと書かれています。
すでに平安時代には、現代人と同じように悩んでいる人が多くいたのですね。

江戸時代のにきび治療

少し時代が変わって、江戸時代には人々の識字率が高かったことや、民間療法が盛んになったことなどから、にきびに関する記述も出版された本の中に見受けられます。
嘉永4年、江戸時代の後期に出版された「錦嚢智術全書(きんのうちじゅつぜんしょ)」は、今でいう生活の知恵百科のような本です。
料理の仕方や、動物の飼い方、化粧の方法、くしゃみの止め方といった、あるとあらゆる生活に関する情報がつまっていて、その中に、スキンケアの方法が書かれているのです。
この頃はにきびではなく、「面ぽう」と呼ばれていました。
面ぽうに効く方法として、一酸化鉛を原料にした密陀僧(みつだそう)という顔料を粉々にして、母乳で溶いて寝る時に顔に塗り、起きたら洗い流す」と記載されています。
現在でいう顔のパックですね。
江戸時代の人にとってもにきびは気になるもので、治す方法までちゃんと確立されていたとは驚きです
さらに、同じく江戸時代の前期に書かれた「拾玉智恵海」という書物では、にきびを治す方法として、鉛白、唐の土とも呼ばれる顔料で、おしろいの成分となった土を、水と日本酒と混ぜ合わせ、顔に塗るパックの方法が書かれています。

明治時代から続く塗り薬

さらに時代が変わり、明治時代になると、硫黄成分を使った塗り薬が開発されました。
硫黄は皮脂の分泌を抑え、皮膚を柔らかくします。また、にきびの原因であるアクネ菌への殺菌効果があります。そのため、白にきびが進行してしまった状態の赤にきびの炎症を鎮める効果があります。
さらに、昭和になって、硫黄の持つ成分が注目され、にきびに効く日本で初めての洗顔クリームが登場しました。

今も昔も悩みは同じ

昔から多くの人達が悩んでいたにきびですが、今ではにきびができるメカニズムが解明され、治療法が進化していますので、なるべく早めの治療を心掛けたいものですね。

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